発信しなければ、人は無名の個として社会の歯車に最適化
されていく。
これは誰かを批判するための言葉ではなく
私自身が過去を振り返ったときに気がついた思想であり、仮説です。
会社員として働き、家庭を持ち
特別な問題もなく日々を過ごしていれば
疑問を持たないまま、一生を終えることもできたと思います。
なぜ私が、ブログ、SNSで発信を始めたのか。
発信は、他人に見せるためというより
自分の思考を外に出し、検証するための手段でした。
発信を続けた結果、生活が劇的に変わったわけではありません
ただ一つ明確に言えるのは、「考えることをやめなくなった」という点です。
これは自分にとって大きなメリットでした。
発信活動は自分の思考や気づきをみえる形にしてログを取ることができる。
あとで何度も見返すことができる、立ち返ることができる。
記憶に定着させることができる。
アウトプットすることで、第三者がその思考の軌跡に触れることによって
新たな思考が生まれる。
自分が発信することは、自分のためになるだけでなく
見えない誰かのためになっているのです。
発信の目的を一言で表すなら
「思考停止させられている状態から抜け出すこと」
だと思っています。
自分だけが助かればいいと思っているのであれば
ノートに記録して終わりです。
ですが、同じ構造の中で苦しむ人が、必ずいると分かってしまったから
私のログをインターネットで公開しようと決断したのです。
もし、私が今も発信をしていなかったら
私は自分に降り注いだ出来事をすべて
「運が悪かった」という運命論で終わらせていたと思います。
発信は、社会に逆らうための行為ではありません。
自分の人生に対して、思考を放棄しないための手段でした。
無名であること自体が問題なのではなく、考えることをやめてしまうことが
個人を歯車にしてしまうのだと思います。
全ては一人の発信から世界が創られている。
この前提に立ってあなたの経験や思想や、気づきをインターネット上のSNSやブログ、noteなどで発信することは、長い目で見れば、人類の発展に貢献できるといっても過言ではありません。
私は、発信するまで
自分に資格があるのか
や
烏滸がましい
など
やらない理由を散々探しては、取り組んでは止め、書いては消しを繰り返して10年ほど経ってしまっていました。
ですが、本格的に決断して、取り組んだ、2025年の7月から、現在の2026年1月まで
の半年でthreadsのフォロワーは1500人に増えました。
ただ、ただ、自分の気づきをアウトプットしただけです。
もっと具体的にいうと、自分の学びたいことの記録としての要素を、人に教えるための要素にする意識で投稿を続けることで、誰かの役に立つというマインドです。
私の投げかけた問いや、気づきに対して、賛否両論が巻き起こることは
初めはドキドキしましたし、圧倒される思いでしたが、今は生活の一部です。
発信すれば必ず誹謗中傷が生じます。
必ずです。
でもそれは全て、宝の山です。
より完全な自分の発信を作るために必要な材料となります。
ご飯と一緒だということです。
ピーマンは苦いです。
茄子も最初はエグいです。
でもいつの間にか、料理して、味付けして、美味しく食べられるようになっています。
そんな感じです。
やればやるほど、自分の発信は良質になり、見方が増えて
アンチさえありがたく思えるようになっていきます。
そして絶対に崩れることのない価値がインターネット上に積み上がっていることに
ある日、気がつくことになります。
以上です。
2026・1・20 晴れた朝 自宅より