✅ ログ4:8月13日 ── 診断結果と、心の中の衝撃
2024年8月13日──
この日、私は朝から仕事に出ていた。
次女の足の異変がずっと頭から離れず、
「どうか大したことではありませんように」と、祈るような気持ちで過ごしていた。
夕方、帰宅してすぐに家族で整形外科へ向かった。
駐車場が空いていなかったため、私は車内で待機し、妻が次女を連れて受診してくれた。
しばらくして、妻と次女が戻ってきた。
ドアが開く音に、私はすぐ問いかけた。
「……どうだった?」
不安げな声で尋ねると、妻は言った。
「──折れてた。右の大腿骨、骨折だって。」
時間が止まったような感覚だった。
“骨折”。
その一言が、冷静を装っていた私の思考を一気に崩した。
医師の説明では、「右大腿骨の骨折」。
完全に折れているわけではなく、枝がしなるように曲がる「若木骨折」──
英語では“グリーンスティック・フラクチャー”と呼ばれるものだという。
幼児の骨は柔らかく大人のようにパキッと折れるのではなく、
湿った枝がミシミシとしなるように、曲がったような状態になるらしい。
よくあるタイプの骨折だが、外からの判断は極めて難しいという。
私は思わず考えた。
「一体いつ、どのタイミングで…?」
花火大会の帰り、車内で──
あのとき、長女が癇癪を起こして暴れていた。
後部座席で足がバタバタしていた様子を、ルームミラー越しに私も見ていた。
もしかすると……そのときに?
自責の念が胸に広がる。
でも、あの日の次女は──
普通に動いていた。
笑っていた。
ご飯も食べていたし、常に痛がる様子もなかった。
私たちがその変化に気づけなかったのは、「異変がなかったから」ではなく、
“異変が見えづらかったから” なのかもしれない。
医師は言った。
「子どもの力でこういう折れ方をすることは、正直考えにくいですね……」
妻の話によると、医師は説明しながら首を傾げていたという。
それは“疑い”というより、純粋な医学的な困惑だったのかもしれない。
処置はその場ですぐに行われた。
次女の右足にギプスが巻かれる。
妻に抱かれた次女は、なぜかケロッとした顔をしていた。
少し笑顔も見えて、私はほっとした。
医師は言った。
「2ヶ月ほどで、ある日突然歩き出しますよ。若木骨折にはリハビリはいりません。」
その説明に、私は安心すると同時に、どこか直感的な不安が芽生えた。
──このまま、何もなければいいが。
? 一緒に考えてみてください。
「“診断がついて初めて見える傷”に、どこまで親が気づけるのか?」
「子どもは話せない。“痛みを正しく伝えられない”──
その現実と、“気づけなかった親”との間に、どこまで“責任”という言葉を置けるのか?」
親は万能ではない。
でも、無関心だったわけではない。
毎日、目を配っていた。
声を聞いていた。
娘の気配を、全身で感じ取ろうとしていた。
それでも、気づけなかった。
けれど──ようやく、たどり着けた。
この“診断”こそが、娘を守る手がかりになる。そう信じていた。
まさか、数日後に。
この診断すら“証拠”として扱われることになるとは──
このときの私は、まだ知る由もなかった。
次の話。こんなことが行政で行われていたなんて
思いもしたかったんです。⬇︎